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「夜と霧」アウシュヴィッツ収容所の生還者から学ぶ、生きる意味と生き方

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こんにちは、管理人のかずです。

今年(2020年)はアウシュヴィッツ解放から75年と言うことで、同収容所からの生還者であり心理学者でもあるヴィクトール・E・フランクル著の「夜と霧」を紹介したいと思います。

僕自身、非常に感銘を受けた本でもあります。

 

余談ですが、この本を買ったきっかけは夏川草介著の「神様のカルテ」です。
登場人物の栗原榛名(くりはらはるな)が人生のバイブルとして、紹介したのが本著でした。こちらもオススメの小説です。

 

神様のカルテ (小学館文庫)

神様のカルテ (小学館文庫)

 

わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。
では、この人間とは何者なのか。
人間とはなにかをつねに決定する存在だ。
人間とは、ガス室を発明する存在だ。
しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。

引用:みすず書房出版「夜と霧」(池田香代子訳)背表紙より

 アウシュヴィッツ収容所とはなにか?

簡単に説明しますと、第二次世界大戦中に、ナチス・ドイツユダヤ人を収容していた施設です。
ユダヤ人に対する人種差別により強制労働、ホロコースト(大量虐殺)、人体実験などの残虐な行為が行われていた場所です。
働けそうにない、あるいは既に働けない収容者は、容赦無くガス室に入れられ、”焼却処分”させられていたそうです。
歴史的な人種差別大事件として、決して風化させてはいけない出来事だと言われています。

 

同収容所がいかに過酷で、残虐で、筆舌に尽くし難い環境だったかは、ネット、あるいはそれに関する書籍で確認することが可能かと思います。
したがって、以下には僕自身がこの本から何を感じたかについて書きたいと思います。

収容所にいてもなお人間の尊厳を保てる存在

 収容所の環境は、文字通り”生きるか死ぬか”の絶望的な状況だったと言われています。
当然、人の事を気にかけている余裕などあるはずもありません。
死体から衣類を剥ぎ取る人々、僅かな食料を奪う人々、感情の喪失…

しかし、そんな中でも人間の尊厳を失わなかった人々はいたそうです。
通りすがりに思いやりの言葉をかけたり、なけなしのパンを譲っていた人々…
そのような”英雄的”とも言える行動を取った人々もいました。

たとえほんの一握りだったにせよ、人は強制収容所に人間をぶちこんで全てを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない、実際にそのような例はあったということを証明するには充分だ。

引用:みすず書房「夜と霧」(池田香代子訳)p110より

僕はもちろん、こんな壮絶な環境に身を置いたことはありません。
しかし、身の回りの環境がどうであろうと、自身の、人間としての尊厳を守るため、自分の矜持にそぐわない行いはしないようにと誓っています。
それができているかどうかは分かりませんし、極限状態に置かれてしまえば、脆くも醜悪な人間性を露呈させてしまうかもしれません。
それでも、自分のことを嫌いになってしまうような行為は、可能な限り慎もうとしています。

こんな思いは、恥ずかしながらこの本を読むまで抱いたことがありませんでした。

人生における本番は今しかない

本著に僕の好きな以下の文があります。

「人生は歯医者の椅子に座っているようなものだ。さあこれからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう」
これは、こう言い替えられるだろう。
強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、わたしの真価を発揮できるときがくる、と信じていた」

引用:みすず書房「夜と霧」(池田香代子訳)p122より

収容所では、自暴自棄になり、日々を無気力に過ごすだけの人が大勢いたそうです。
むしろその方が普通でしょう。
僕も同じ状況になれば、そうなるかもしれません。

「こんな状況では、もうどうにもならない。今の状況が改善されたら頑張ろう」

いつか来るかもしれない漠然とした自分の輝かしい未来を信じて、今を蔑ろにする人はいないでしょうか。

「今に見ていろ、まだ本番じゃない」と思っている間に年を取り、体が思うように動かず、病床に伏せて初めて「今までこそが本番だった」と気づく…

人間の真価というのは、環境に左右されず、いついかなる時でも発揮されます。
思い通りにいかない人生を、他人や環境のせいにしていないでしょうか。

僕の好きな映画に「ショーシャンクの空に」があります。
主人公のアンディは無実の罪で投獄されても、脱獄のために19年にもわたり、自分の独房に穴を掘り続けました。
その他の囚人のように、環境に甘んじて無気力に目的もなく日々を過ごすことができたかもしれませんが、彼はそれを良しとしませんでした。
刑務所という絶望的な状況にあってもなお、人は前向きに生きることができます。

 

ショーシャンクの空に(字幕版)

ショーシャンクの空に(字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

いついかなる時も前向きになるのは難しいですし、無理すると体に悪いです。
大事なのは、小さいことでもいいので、何か自分のためになること、自分のやりたい事をすることではないでしょうか。

読書をするでもいいし、朝早起きして散歩するでもいいし、一日一回は笑うとか…
ちなみにどうでもいいですが、僕は朝起きての軽い筋トレ(本当にアホみたいに軽い)、お昼休みの散歩と、人前での笑顔を心がけるようにしています。本当にどうでもいいですね(笑)

生きる意味を問うのはやめよう

なぜ、人は生きなければいけないのでしょうか。
時として苦しい思いをしてまで生き続けなければいけない理由はなんなのでしょうか。

本著では、そのように我々が人生に問いかけるのではなく、むしろ人生が私たちに問うているのだ、とあります。

自分を待っている何かがないか

ある人にとっては仕事かもしれません。
また別の人にとっては、愛する伴侶かもしれません。
ある人にとっては熱狂できる趣味かもしれません。

自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。

引用:みすず書房「夜と霧」(池田香代子訳)p134より

収容所内での絶望的な状況にあってなお、人の生きる気力を湧き上がらせるもの。
それは「自分を待ってくれる存在」に他ならなかったのかもしれません。

故郷で待つ妻、まだ完了していない仕事… 

ひょっとしたら、それらの仕事や人間があなたを待っているかもしれません。
大事なのは、そう言った対象をみつけること、認識することだと思います。

自分はなぜ生まれてきたのか?
隣で寝ている妻を幸せにするため?自分にしかできない仕事を成し遂げるため?これと決めた何かに全力で打ち込むため?

裏を返せば、それらの対象が、あなたに愛される事、成し遂げられる事をまっているかもしれません。

未来のことは誰にもわからない

収容所での生存率は極めて低いものでした。
それでも著者は、希望を捨てず、投げやりになる気は無いと誓いました。

なぜなら、未来のことはだれにもわからないし、つぎの瞬間自分になにが起こるかさえわからないからだ。

引用:みすず書房「夜と霧」(池田香代子訳) p137より

明日、極端に言えば1秒後に何が起こるかさえ分かりません。

横断歩道を歩いてる途中に車が突っ込んでくるかもしれません。
公園で遊んでたら飛行機が墜落してくるかもしれません。
思いがけず入ったバーで運命の出会いがあるかもしれません。

大切なのは、未定の未来に思いを馳せて、あれやこれや悩んでしまわないことだと思います。
現代は変化のスピードが異常に早いです。
ちょっと前まで、スマホがここまで普及するとはほとんどの人が思っていませんでした。
技術の進歩と共に、あり得ない速度で世界は変わりつつあります。
自動運転も数年の内に実用化されてしまうかもしれません。
そんな世の中で、未来の事を予測するのは不可能ですし馬鹿らしいです。

今に集中して、やりたい事、やるべき事をやる

僕の大好きな漫画に「ルーキーズ」があります。
喧嘩と自堕落な生活の日々を送る生徒に、主人公の熱血教師、川藤はこう言います。

「お前は頑張ってるやつを笑えるほど充実した日々を送っているのか?
明日死んでも満足なのか?」

ストレートですが、胸にグッと来るセリフでした。

まとめ

この本を読み、日々をどう生きるか、自分はどういう人間でありたいか、を深く考えるようになりました。
生存率の極めて低い収容所でも、人は自分の矜持に従い、人間としての尊厳を保つ事ができます。
同時に、僅かな希望を頼りに、苦しみも人生の一部として、懸命に生きることもできます。

収容所内の悲惨な様子や人間をリアルに描写した本著は、この事件を風化させないためにも、又、生きる意味を失いかけてる方への指標になり得る…といった意味でも、幅広い方に読んでいただきたいなと思っています。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

夜と霧 新版

夜と霧 新版